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GCUの同期たち(1) [通院期]

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NICUからGCUに移動してしばらくすると、哺乳瓶にプラスして、おっぱいトレーニングが加わりました。

トレーニングとは言っても、哺乳瓶で飲ます前に授乳室でおっぱいを飲ませるだけのことなのですが、今までチューブで母乳を注入されていた娘がこうしておっぱいを飲むという段階まで来たことが母親にとってはとても嬉しいことでした。

さらには新しい出来事が加わることになりました。
そう、ほかのママたちとの接触です。

今まで保育器の前でにらめっこの毎日だった私ですが、ひゃくが保育器を卒業してからすかっかり普通の赤ちゃんらしい生活を送れるようになってきて、いよいよ私もママらしい生活が始まった(気がしてました)。

でも、まだまだ他のママとの接触方法が分からない新米ママの私。普通に友達になるってのとはまた違うんですよね…なんか。
しかも、ここにいる子たちは何か問題があってここに居る訳ですし…
うかつに変な話をするわけにもいかず…

そんなわけで、授乳室デビューをしてもすぐには他のママと打ち解けることはありませんでした。皆さんあまり積極的にお互い話しかけていませんでしたし…

しかし、毎日病院へ通っていると自然と顔見知りになるんですね。
「あ、あのママは今日も来ているな…」とか、
次第にどの子のママなのか分かるようになってきました。

しばらくすると授乳室で自然と言葉を交わすようになり、ちょっと親しくなったママさんがいました。

その女性は小さな双子ちゃんを産んだママで、妊娠高血圧症により母体が危険になったため、かなり早い段階で取り出されたということでした。

双子ちゃんは男の子と女の子。女の子の方がお姉ちゃんで少し大きかったのですが、それでも二人とも産まれてきたときは600グラム台(!)だったそう。ひゃくよりも小さいのですから驚きです。

基本的に未熟児が退院できる目安は元々の出産予定日。聞けば4~5か月は入院が必要になりそうとのことでした。大変だ…

双子ちゃんはひゃくよりも一回り小さいのですが、二人ともひゃくのような肺機能などの問題は無かったので、既に保育器は卒業していました。

授乳タイムの双子ママは大忙し。一人目を部屋に連れてきて、体重測定→授乳→体重測定(どれだけ飲めたかチェック)→一人目を戻して、二人目を連れてきてまた繰り返し…そしてその後は哺乳瓶で残りの分をあげるのです…

一人でも大変なのに…見ているだけで「ご苦労様です…」と思ってしまいます。もちろん、看護師さんがどちらかの子にミルクをあげたりなどのサポートはしていましたが、看護師さんも他の子がいるので毎回フォローできている訳ではなく…(看護師さんは基本的にママ不在の赤ちゃんに対してのお世話がやはりメインになってしまいます。)

しばらくすると徐々に体重も増えてきて、双子のお姉ちゃんの方は他に問題も見当たらず、ひゃくよりも先に退院できることとなりました。

お~良かった!おめでとう!と、手放しに喜べないのが双子ちゃんの母。すると今度は、自宅でお姉ちゃん、病院で弟くんと大変な2重生活の始まり…!
もうママは目の回る忙しさだったことでしょう…

しかも、弟くんは腸ヘルニア、いわゆる出ベソが見つかり、しかもあまり良くない位置だっため早急に手術が必要とのことで、手術に耐えられる体重になるまで入院を続けなければなりませんでした。

手術自体は数分で完了する、命には別条ない軽いものとのことでしたが、この状況で手術と言われると、きっと不安も多分にあったと思います。

それでもいつも明るくニコニコされていたママ…本当にすごいなあと思いました。

弟くんの手術よりも一足先にひゃくが退院してしまったので、その後の経過はわかりませんでしたが、退院後の定期健診で病院を訪れた際に、看護師さんから無事に弟くんも退院して元気に暮らしていると伺いました。本当に良かったです。

こんな感じでGCUではそれぞれの家族のドラマを垣間見ることができました。ひゃくよりも大変な子がたくさん居て、でも親も子供も毎日を一生懸命に過ごしていました。本当に学ぶことが多い場所だったと今でも痛感しています。

つづく

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GCUからの新しい課題 [通院期]

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GCUへと移ったひゃくが、1日の生活の中で一番変わったことといえば、数時間に1回のミルクタイムです。

今までは胃から鼻に通されていたチューブで母乳を流し込まれていたものが、これからは直接自分で哺乳瓶から飲めるように訓練をしていかなければなりません。

もちろん急にそんなことができるわけではありませんので、保育器時代からずっとおっぱいを吸う訓練を続けてきました。

NICUのミルクタイム中には母乳を注入されながら、母乳で湿らせた太めの綿棒?みたいなものを口元に持っていき、チューチューと吸わせていて、これにより吸う力が日々少しずつ鍛えられ、GCUに来たときおっぱいを吸う練習が始めやすいようにしていました。

当然のことながら、みんながみんな急に哺乳瓶から飲めるようになるわけではありません。始めは哺乳瓶でチャレンジするのですが、飲むのに疲れると途中で眠ってしまったりするんですね~

そんなときには、残った母乳は胃まで通してあるチューブから直接注入します。

つまりある程度自力で飲めるようになれば、晴れてお鼻のチューブは取れるわけです。

体重が増えていけば自然と吸う力も付いてきます。こうして練習を繰り返しながら少しずつ普通の赤ちゃんに近づいていくんですね。

幸い、ひゃくは食についてはあまり問題の無い子でした。体重を増えやすくするためのマズイと評判の粉ミルク入りの母乳もごくごくと飲みましたし、私が心配していた哺乳瓶についてもあまり拒否らず、すんなりといきました。

この頃から食い意地が張っていたんでしょうねえ…笑

どっちかというと、母親の私のほうが結構苦労していた気がします。。

ミルクタイムになると、解凍して適温に温められた規定量の母乳が哺乳瓶に入った状態で母親に渡されます。そしてそれを飲ませるのですが、初めての赤ちゃんなうえに体は標準よりかなり小さく、首はぐらぐら。おまけに変な角度で飲ませると酸素の数値が落ちる落ちる…笑

ほんとに哺乳瓶を飲ませているときは、気にする部分がたくさんあって(自分が慣れていないということも多分にあるのですが…)結構大変だった記憶があります。

ちゃんと母乳を飲んだ後も、まだまだ気にすることはありました。すぐに寝かせてしまうと赤ちゃんの胃袋は徳利のような形をしているため、吐いてしまいがちなんだそうで、飲み終わった後も私はひゃくを抱っこし続けていました。

初めのころはホントにいつ置いていいかタイミングが分からず、次のミルクタイムまで抱っこし続けたこともありました。
すっげーーー肩とか腰が痛くなりました笑

だってだって、この頃はミルク飲ませてもピーピー、そっと寝かせてもピーピー…酸素の数値をはかるモニターの警告音に振り回されまくっていました。
あっ!と思って、置くのをやめたり、哺乳瓶を外したり、あのピーピーは今でもあんまり聞きたくないですね…

NICUの頃より、母親的にはやることが増えてうれしい反面、苦労も多かったGCU時代なのでした。

つづく

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遂に念願の…! [通院期]

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2か月以上保育器の中で暮らしていたひゃくちゃん。体重は減ったり増えたりの繰り返しをしながらも、徐々に数値を増やし、体重は1.5キロくらいにまでなっていました。

「いつか保育器を出る日が待ち遠しいなあ…」

なんて考えながら、1日中保育器の前でひゃくを見つめる日々が続いていました。

その頃、少しNICUはバタついていました。病院内で双子ちゃんの誕生や緊急で他の産院より運ばれてきた赤ちゃんたちなどが重なり、病室内はかなり飽和状態。

NICUの看護師さんたちからすれば、事態が深刻な赤ちゃんが増えるほど負担が増えるわけで、あまり良い状況とは言えませんでした。(実際、忙しさにピリピリしている感じの時もしばしば…ミルクタイムが押すこともありました。)

ある日、いつものようにGCUを通って、NICUへ入った瞬間看護師さんに

「あっ、ひゃくちゃんは隣の病室に移動しました!」

えっ??!!

突然のGCUへの移動!!笑

来た道を戻って、GCUの奥へ進むと居ました居ました。

口元に酸素マスクはあててあるものの、保育器から脱出し、すやすやと眠るひゃくがいるではありませんか!
親としてはとても嬉しい事件でした。

「ふ…服を着ている…!!」

そう、一番うれしかったことは服を着、オープンエアで暮らしていることでした。約30度のぬくぬくした保育器から、24度くらいの大人たちにとっての適温の世界へ来たひゃくは、病院で貸し出してもらえる柔道着のようなごわっごわの産着を着せられていました。

でも嬉しい。親としてはぶかぶかの柔道着も可愛くて仕様がないのです。早速ビデオカメラにその姿を収めまくったのを覚えています笑

話によると、NICUの保育器の空きが無くなってしまったため、押し出されるように比較的大丈夫そうな子から脱出させられた感じのようでした。
なるほど…ま、まあひゃくは、NICUの中で一番出ても大丈夫だったということですね!(前向き)

相変わらず、酸素の数値は安定しないため、酸素マスク付きではありますが、これからは気軽に触ったり手を握ってあげることもできます。私がしてあげられる事も増えてくるわけです!

こうしてここからGCU生活が始まるのですが、まだまだ退院までは遠い道のりなのでした…

つづく

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恐怖の眼底検査!(2) [通院期]

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検査自体は10分弱といったところでしょうか、赤ちゃんが暴れたりしなければすぐに終わるような検査みたいですが、そんなことは赤ちゃんは分かりませんから、どの赤ちゃんも抵抗しまくるようで、暴れると時間が長引くことも…

ひゃくも、体を固定してくれてる看護師さんや先生に抵抗しまくりましたが、結局10分くらいで終了。すると先生が私のところに来てくださって、

「眼球内の血管はまだまだ未発達ですね。また再来週様子をみてみましょう。」と、次の赤ちゃんの保育器へと向かっていかれました。

そんなこんなで、大変な眼底検査の直後のひゃくの元に駆けつけてみると、検査の際の器具の跡がくっきりと付いて腫れ上がったまぶたのひゃくちゃんが。
さすがに初見のときは可哀想に思い、涙ぐんでしまいました。

血管の発達具合を見て、先生が次の週も診るか、2週間置いて血管の伸びを待つかを決めます。始めのころはまだまだ未発達で2週間おきが多いのですが、つぶさに確認が必要な時期になると毎週マメに診なければならず、赤ちゃんたちにとっては恐怖の木曜日だったかと思います。(赤ちゃんに曜日感覚はありませんが)

こうして、初めての眼底検査は終了。。
ここから恐怖のお目目の検査の日々が続くことになったのでした。

もちろん血管の発達具合が良好な場合は、入院中でも検査不要ということでこの検査は無くなりますます。しかし、なかなか血管が延びきらなかったり、異常な形で発達してしまうと視力の低下や失明を引き起こす”未熟児網膜症”を発症してしまうのです。そうなると治療が必要で、レーザーなどでの処置が施されます。

治療で改善するとはいえ、やはりまだ小さな赤ちゃんたち。親からすれば、体の負担になりそうな治療や手術は避けたいと思いますし、最悪の場合は失明という悲しい結果を招いてしまうことも…やっぱり、何事もなく発達してくれることを願わずにはいられません。

この記事を書くにあたり、未熟児網膜症についてネットで改めて調べなおしていたところ、1500グラム未満の赤ちゃんの発症率60%、妊娠28週未満の赤ちゃんの発症率はほぼ100%と記載がありました…

ひゃくは27週、948グラムで生まれ、その情報からすると発症率100%…
あの時は、無我夢中だったので未熟児網膜症についてネットで詳しく調べることもしませんでしたが、今思えば調べなくて良かったです。
だって当時にこんなこと読んでしまったら、心配と不安できっと眠れなくなってしまいそうでしたから。

また入院期後半で詳しくお話ししようと思いますが、結果としてひゃくは無事血管も発達し、治療はせずにすみました。今では何でも良く見えているようです。(ジョージをガン見するくらいですから笑)

妊娠28週未満の赤ちゃんの発症率はほぼ100%というデータはあくまで確率のお話なんでしょうね。本当に発症しなくて良かったです。

あれをやると白目の部分を出血することが結構あって、退院直後の写真を見ると白目に赤い出血が。
「あ~これって検査直後だったんだな~」
なんてしみじみと思い出したりしました。

今となっては思い出のひとつですが、ひゃくにとっては恐怖体験だったでしょうね。
そして、子供たちのために診てくださっているのに、子供たちに嫌われてしまう眼科の先生には申し訳ないな~と思ってしまいました。

本当に物腰の柔らかい優しい先生で、退院後も通院で何度か眼底検査でお世話になっていたのですが、ひゃくはもう会いたくないかもしれないですね…汗
何にせよ、本当にありがとうございました…!


以上、恐怖の眼底検査についてでした!

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恐怖の眼底検査! [通院期]

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NICUにいる赤ちゃんたちは、入院中に様々な検査を受けています。

そのほとんどが親の居ない時間を避けて行われているのか、いつも結果を教えられて検査があったことを知るという感じでした。

未熟児として生まれた場合、体の様々な部分が未発達のまま外に出てきてしまっていることが多く、普通に保育器の外で暮らせるようになるくらいまで成長していることが確認できてから、晴れて退院となるのです。

成長するスピードは赤ちゃんそれぞれで違いますので、定期的に検査を受けて成長の度合いをチェックする必要があるんですね。

そんな中でも私の中で、ひときわ印象的な検査がありました。
それが、眼球内の毛細血管の発達具合を確認する”眼底検査”なのです!

眼底検査は眼の詳しい検査になるので、小児科のいつもの先生ではなく眼科の先生が毎週木曜の夕方に病棟にいらっしゃって、子供たちの眼を診て下さいました。

しかしこの眼底検査、赤ちゃんたちからしたら痛くって誰もが嫌がる検査。何せ眼球内の血管を見るには、金属の器具で無理やりまぶたを閉じないように固定して光を当てなければならないという、聞いてるだけでもかなり痛そうな内容。。

タイミングが合えば検査の時間帯に居合わせることもできたのですが、検査中は例のごとく親は終わるまで外で待っていなければならなかったため、夕方の時間帯ということもあり私はそのまま帰宅することが多く、検査の結果は翌日看護師さんから直接伺うか、お話しノートを読んで確認する感じでした。

でも実は、一度だけ眼底検査をそばで立ち会うことができる機会がありました。

それはまだひゃくが入院して間もない頃、初めて眼科の先生とお会いしてご挨拶をさせていただいた時でした。
挨拶もそこそこに、「それでは検査に移るので、ちょっとお母さんは離れていていただけますか?」と言われ、まだ眼底検査の内容もその大変さも知らない私は結構のんきな感じで一歩下がってその様子を見ていました。

すると、

「にゃああ~~~~~~!!!」

まだ小さくて元気のないひゃくちゃんはあまり大きな声で泣くのを聞いたことがなく、こんなにも泣くのを初めて聞いてびっくり!
何をされているかは見えませんでしたが、とんでもなく嫌な事をされているのはその泣き声で分かりました。

私は予想外の検査内容にその場で立ったまま硬直して、じっとその様子を見つめていました。

果たしてその検査結果は…

つづく

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カンガルーケアに挑戦!(2) [通院期]

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ついにその週の日曜日。カンガルーケアをしに、いざ病院へ向かいました。

事前準備として、素肌の胸元に赤ちゃんを乗せるのでシャツなどの前開きの服装で来るように言われていましたので、満を持してシャツを着て参上!

すると待ってましたとばかりに、ビーチで使うような足元までのびたリクライニングのある折り畳みイスを保育器の横にどかっと設置!
「ここに座ってくださいね!」
と言われ、促されるまま半分寝た様な状態になりました。

すると、周りに搾乳時と同じように目隠しのついたてを置かれ、
「シャツの胸元を開けて待っていてください~」
と言われはだけた状態で待っていると、

遂に保育器ががばーと開けられ看護師さんに抱っこされたひゃくちゃんが!
まだまだ900グラム台の娘は小さくて、両手に余裕で乗るサイズです。

そんなひゃくをそのまま私の胸の上にかぽっと置かれました笑
「はい!しっかり抱っこしてあげてくださいね」
はい!もちろんです!と思いながらも、恐る恐る支えます。

首もグラグラだし、体もガリガリ…
この頃はほとんど抱っこなんてしたことなかったので、自分の中では
「うわ~抱っこした~~」
ってひそかに感動していました。

ひゃくはこの頃はほとんどの時間目を閉じて寝ているような状態。抱っこした時はちょっとびっくりして目を開けましたが、その後は眠るように目を閉じていました。

オムツ一丁なので、ひゃくの上半身は私の胸元にぴったりとくっつきました。
少しあたたかさを感じ、本当にうれしくて幸せな気分になったのを今でも良く覚えています。

カンガルーケアで良く問題になっている、知らない間に赤ちゃんが無呼吸になってしまう心配は、モニターを付けているので無用です。何かあればブザーが鳴ってすぐに看護師さんが駆けつけてくれます。

長時間抱っこすることで母親の体温を移してあげるんだそうで、短時間だと逆に体温が下がってしまうため、カンガルーケアは1時間以上続けます。親としては動きたくても動けない状態が続くのです苦笑

まだ外の世界の酸素濃度では不安があったので、口元には小さな酸素マスクをあてながらでしたが、それでもカンガルーケアの最中は酸素濃度が下がったり戻ったりと不安定…
大丈夫なんだろうか…とモニターの数値を見ながらソワソワ。

このソワソワと長時間同じ姿勢、さらには病院って結構空調効いてるんですよね。8月の真夏だったこともあり、クーラーガンガンで寒い…という様々な状況が重なって、後半はかなり辛かったです。笑
「は、はやく…まだかな~…」
なんて思ったりもして(ヒドイ)

すると、ひゃく自身も同じ姿勢で辛くなってきたのか、後半になると泣き出してしまいました。「ど、どうしよ…これ結構辛いんじゃないかな…」とさらにソワソワ。

その頃にやっと、
「そろそろひゃくちゃん戻しましょっか!」
と終了の知らせ!

はあ~終わった!!と内心ほっとしていました笑


やっと保育器に戻されたひゃくは
「はあ~やっとゆっくりできるよ!」
と言わんばかりにおとなしく眠っていました笑

これって、イイ事もたくさんありますが、結構小さい赤子には負担も多いようですね。やっぱり頻繁にはできませんね~(私が)コワくて。

最終的には、保育器を出るまで何度かカンガルーケアを行いました。私としては直に娘とスキンシップがとれる、当時としては貴重な時間。忙しい中、カンガルーケアをさせて頂いたことには感謝しています。

ちなみにこの病院ではパパもカンガルーケアができました!
あまりしている方は見かけませんでしたが、うちのパパも2回くらいさせて頂きました。(パパは目隠しのついたてはありませんでした笑)

ちょっとニオイとか違うのかな~なんて見ていましたが、ひゃく的にはあまり反応は変わりませんでしたね。
パパは私よりもおっかなびっくりでした笑(そりゃそうか)

でも本当にいい経験になりました。
いつかひゃくが話せるようになったら、覚えているか聞いてみようと思います。
そして、後半キツかったかどうかも確認したいと思っています笑

以上、カンガルーケアについてでした!
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カンガルーケアに挑戦! [通院期]

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入院直後から看護師さんにたまに言われていたこと、それは

「もう少し、容体が安定したら”カンガルーケア”やりましょうね!」

なんとなく聞いたことがありました、カンガルーケア。
でもそれは、出産直後にお母さんの素肌の胸の上で赤ちゃんを寝かせることによって、においや温度など様々なものが赤ちゃんに伝わり、その後の成長に効果的というようなものと記憶していました。

こんな管だらけの小さな赤ちゃん、どうやってカンガルーケアするのだろうか…
お風呂の時同様、疑問がいっぱいでした。

「容体が安定したら」というのは、ひゃくちゃんは産まれた直後、血圧が安定せず、その原因の一つとして体の中のホルモンがうまく生成されないために起こっているとのことでした。そのためホルモンを補充する形で注射で投与をしていたのです。

さらにこれは産まれてからずっとなのですが、肺の状態が特に未発達で、血中酸素濃度がなかなか安定しなかったため、肺まで直接チューブを通して酸素を送り込んでいました。このチューブがあると、固定されてしまい、保育器から出ることはできませんでした。

以上のこの2つの理由でカンガルーケアはおあずけになっていたのです。

それが、入院して一か月経たないうちに酸素濃度の数値が安定!先生の判断で肺まで通していたチューブを抜いて、保育器からの酸素だけで様子を見ることになりました。

これには担当看護師のヤマオカさんも私もびっくり。
「むしろ口のチューブが嫌だったんじゃない?」なんて言いあっていました。

チューブの無くなったひゃくのお顔はすっきり。
表情も良く分かって、私もすごく嬉しかったのを覚えています。

まだホルモンの注射はしていたものの、血圧も落ち着いているという事でいよいよカンガルーケア解禁!次の週末のお昼に行うこととなったのでした…!

つづく


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初めての入浴! [通院期]

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NICUで暮らす赤ちゃんたちだって人間です。日々暮らしていればどんどんと体が汚れていくもんです。

うんちだって臭くないと言われている赤子たちですが(ほんとは臭いです)、数日たつと臭くなってくるんですよ。保育器の中が笑
たまに保育器の中に手を入れるときふたを開けると、「あれ?なんか異臭が…」と思うことが何度かあり、あまり気にしていなかったのですがやっぱり体が臭くなってくるようなんです。

とはいえ、まだ実際はお母さんのお腹の中にいる時期の子。普通に湯船に入れたり洗ったりは、かなり体に負担をかけるのでできないんだろ~な~と思っていました。

じゃあどうするんだろ~な~と思っていたそんな時にヤマオカさんに声をかけられました。

「今度、一緒にひゃくちゃんをお風呂に入れましょうか!」

え?!お風呂入れるの?!体中に管が付いてるのに?!どうやって?!
と色々と謎が浮かびましたが、

「はい!」

と快諾。
どうやら母親たちのいない時間帯の数日に一回、お風呂に入れていたようです。

そうして数日後、ついにお風呂のシーンに立ち会えることになりました。

「お風呂の準備してきますね!」

と言われて待っている間、いろいろな疑問が浮かんできました。

モニターや胃まで繋がっているチューブが鼻から出ている状態でお風呂になんて入れるのか…??


なんてモヤモヤしていると、別の看護師さんが保育器を横から、がばーーーと開けて、「ひゃくちゃん抱っこして待っててくださいね~」と言われたので、両手に乗せて待っていました。

すると、ヤマオカさんが笑顔で戻ってきました。
その手にはお料理に使うようなサイズのステンレスのボウルが。

そのまま保育器の中にそのボウルが置かれました。

そうこれが、彼女の”浴槽”なのでした。

中にはぬる~い白濁した液体が。
そのままオムツを脱がせてひゃくをボウルの中に投入です!

さぶ~んと半身浴状態になったひゃく。
右手には血中酸素濃度を測るモニターのセンサーが付けられており、濡れるといけないとのことなので、右手が浸からないように気を付けて体をガーゼで拭いてあげます。

まだまだ1キロにも満たない娘は手足もガリガリで、折れてしまいそう。おっかなびっくりで作業をすすめます。

このボウルの中の白く濁った液体の正体は”スキナベーブ”という沐浴剤の入ったお湯だそうで、これを溶かしたお湯に赤ちゃんを入浴させるだけで肌の汚れを落としてくれる素敵なツールなんだそう。すすぐ必要もなく、こういう赤ちゃんたちにはぴったりです。

これがなんだかやさし~いいい香りがして、確かに入るだけで体を洗ったような気分になれそう。

一緒にお風呂に入れてくれた若い看護師さんが、「この香り大好きなんですよね♪」とお話しされてました。カワイイ。

そんなこんなでボウルに入ったひゃくちゃんは、しばらくするとモニターのブザーがビービー鳴ります。

この頃は、ちょっとでもストレス的なものを感じたりすると呼吸を忘れるのか、血中酸素濃度がすぐに落ちてました。

お風呂の時もやっぱりというか、酸素濃度が下がったりして結構母親的には冷や冷や。結構負担かかるんだな…と痛感しました。

そうしているうちに入浴は終了。ボウルは撤去され、オムツを履き替えてさっぱり。
こうして母としては初めての入浴イベントは終了したのでした。

とはいえ、この入浴方法はスタンダードな赤ちゃんの入浴方法とはちょっと違ったので、退院間近にちゃんと看護師さんから普通の入浴方法を教わりましたが、この時期の沐浴は貴重な経験でした。

結局、自宅ではスキナーベーブを使用することは無かったのですが、とってもいい香りで気持ちよさそうでした!新生児のお風呂や赤ちゃんの具合が悪い時など、自宅で沐浴をする際にはおすすめですよ!

それでは!

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ひゃくと私のおっぱいヒストリー [通院期]

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ひゃくを産んでから、いきなり始まった母乳ライフ。

世の中のママ達は、赤ちゃんの主食となる母乳・ミルクに関してはかなり真剣に考えている方が多いと思います。

もちろん私も大事だと思っていますし、何よりひゃくの入院していた病院は母乳育児に積極的なNICUでした。
看護師さんたちも母乳育児について協力的で、初産のお母さんに対しては指導をしてくれることもありました。

NICUに居る子たちは乳首をくわえられるような大きさではないので、お母さんは搾乳をして母乳バッグに詰めたものを看護師さんに渡します。

NICUの隣にあるGCUの奥には授乳室があったので、通常はこの部屋で搾乳をするのですが、赤ちゃんを見ながら搾乳をすると良く出るようになるという説があるらしく、

「搾乳しますか?」と聞かれたので
「はい!」と答えたら、

わざわざ保育器の前に電動の搾乳機と、ガラガラガラ~と周りに目隠しのついたてまで持ってきていただき、完全防備状態。

「なんかすげーことになってる…」
と思いつつ、
「やっぱ、いーです!」なんてことは言えない状況。

以前お話ししたかと思いますが、ここのNICUはかなり様々な物が密集しており、先生方の作業デスクがすぐそばに。たまに先生の座ってるイスと私のイスがぶつかって、スイマセン…なんてこともしばしばのこの狭さに、搾乳機&ついたてなんぞ持ち込んだらどうなるか何となく想像がつくかと思います。

完全にひゃくの保育器の前の通路は塞がれてしまい、みなさんここをよけて遠まわりして作業している様子…搾乳している30分くらいの間、
「あ~~お邪魔してすみません!もう少々お待ち下さい!」
という申し訳ない気持ちで搾乳機とひゃくを見つめていました。。

準備もめんどくさいし、搾乳中も邪魔だろうに、皆さん嫌な顔ひとつせず対応してくださいました。私が初産ということもあり、母乳がたくさん出るようにとの配慮は本当にありがたかったです。

まあ部屋の中にいるほとんどが女性の看護師さんとお母さんがたで、男性とは言っても医師なので、あんまりついたてとかいいんじゃないかな~とも思ったこともありましたが、よく考えたらほかのお父さんもいらっしゃるし、両親以外の人が窓の外から赤ちゃんを見ているのでやっぱり必要でしたね。ハイ。

母乳は搾れば搾るほど、飲ませれば飲ませるほど、「もっと必要なんだな!」と体が認識してどんどん母乳が出るようになるそうです。

そのため、搾乳も授乳と同じように3時間に一回搾るのが理想的。
「夜はおっぱいを作る時間なので、むしろちゃんと寝てくださいね!」
と言われていたので、夜は普通に寝て、午前中に電車とバスで1時間かけて病院に行って、夕方になってまた1時間かけて家に帰るという毎日。

計算すると、病院では2回以上搾乳しないとそのペースを守ることができないんですが、1日に二回も搾乳機&ついたての準備をしてもらうのをお願いすることができず、ついつい搾乳することがおろそかになっていきました。

生まれた直後のひゃくは一回に数ミリリットルしか飲めず、そのとき私の母乳は軌道に乗りまくっていたので一回に150ミリリットル以上出るという需要と供給バランスが崩れまくりの状態。

ある程度は病院の冷凍庫で母乳バッグを預かってくれていたのですが、もうひゃくの冷凍庫のスペースはいっぱいになったらしく、
「しばらく母乳は持ってきて下さらなくて大丈夫です。こちらがお声がけするまで自宅で保存いただけないでしょうか」
と言われ、
「な~んだ、母乳全然大丈夫じゃん!」
と余裕ぶっこいていたのも重なり、入院して一か月くらいすると病院で搾乳する頻度も少なくなっていきました。

でも看護師さんには言われていたのです。
「いつか母乳が追い付かなくなる日がきますから!」
と。

当時、そんな状態の私にはまったく信じられない内容で、話半分に聞いていました。

しかし、入院して二か月過ぎたころ、ひゃくの体重も1.5キロ過ぎて保育器からGCUに移動したあたりでそれが現実となったのです。

「家にある母乳あるだけ持ってきてください」

お!いよいよ飲む量が増えてきたなあ~!退院も近くなってきた!
なんて喜びもつかの間、催促のペースがあがり、遂に家の母乳ストックはなくなってしまいました。
さらに、搾乳を怠っていたツケがきたのか、出る量がどんどんと落ちて一回に100ミリを下回るくらいしか出ないようになっていました。

「あれ…なんか母乳やばくないかな…最近看護師さんにも母乳の催促されなくなってきたけど大丈夫なのかな…」

なんて思っていた矢先、遂にその日がやってきました。

GCUに入ってからは、授乳の時間になると自分が抱っこして、解凍した母乳が入った哺乳瓶を看護師さんから受け取り、飲ませてあげていました。

ある日、受け取った哺乳瓶をひゃくに飲ませていて気付きました。
「あれ?この哺乳瓶の中のいつもと色が違う…」
それは、いつもより黄色みが薄く白っぽい液体でした。

そうです。遂に母乳が足りなくなり、しれっと粉ミルクにシフトチェンジしていたのです!!

そう気付いたとき自分の中ではかなりショックでした。
母乳いっぱい出ますね!って看護師さんに褒められていたのに、油断した結果、母乳が追い付かなくなってしまった事実…完全に自分の過失です。
あ~~~~わたしのあほ~~~~~って思いました…。すごく。

よく粉ミルクに変えると、味が変わって赤ちゃんが受け付けてくれない…なんて話を耳にしますが、うちの子は全く関係なかったようです笑
すっごいごくごく飲むので、粉ミルクになったことにしばらく気づきませんでしたから笑

ちなみにある程度大きくなった赤ちゃんには、さらに体重を増やす目的で特別な粉ミルク、”HMS-2”なるものを病院の売店で購入して、母乳orミルクに混ぜて飲ませます。

それが独特の風味で拒否する赤ちゃんが多いらしいのですが、(看担当看護師のヤマオカさんも味見したそうですがマズかったそうです笑)ひゃくは顔色一つ変えず飲んでいたのでヤマオカさんに褒められていました。ひゃくは生まれた時から食い意地がはってましたね笑

そんなこんなで母乳が足らなくなってしまった私は、完全母乳からミルクとの混合へと静かにシフトチェンジしてひゃくはすくすくと育ちました。

退院して1日中おっぱいあげてたら、量がよみがえるかな~とも期待しましたが、結局量は増えず混合のまま今日を迎えました。

完全母乳が赤ちゃん的には良かったかもしれませんが、旦那や両親に子守をしてもらうこともできましたし、様々なメーカーの哺乳瓶を試せたり(物に凝るの好きなんです)しながら、寝かし付けや泣き止ませる時におっぱいを飲ませちゃえば解決!という、それぞれのいいとこどりができたので、個人的には混合で良かったな~と思っています。

母乳でもミルクでも赤ちゃんは育ちますし、きっと大事なのは何を与えるかよりも愛情なんだな~と考えて自己完結しました笑

ちなみにもうすぐ2歳になるひゃくちゃんですが、未だにおっぱい卒業ができていません。へへ。

母乳をやめさせるタイミングは賛否両論、様々な意見があるようなので何とも言えないんですけど、現在私の仕事も在宅ですし、母乳を欲しがる回数も徐々に減ってきているので、このままほっとけばフェードアウトするんじゃないのかな~なんて気楽に考えてしまっています。

今は、ご飯の一部のように食事中に飲みたがるのと、寝る前にほしがる感じですね~
でも外出中はあまり欲しがらなくなったので昔よりかは楽になりましたな。

細切れにお話しすると分かりにくくなるかと思い、今回は誕生~現在までの母乳について通してお話させていただきました。
以上が、ひゃくのおっぱい事情についてでした!
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NICUの仲間たち(2) [通院期]

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前回はかなりライトな感じでNICUのお友達を紹介しましたが、今回はママ同士の交流についてお話していこうと思います。ちょっと重たい内容のお話しになってしまうかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。。

普通は同じ病室に居合わせたママ同士、意気投合してママ友に…なんてお話を耳にすることがありますが、NICUに関していえばそういったことはほとんどありませんでした。

なぜなら、ここにいる赤ちゃんのママ達は決して幸せな気持ちで満たされているとは限らないからです。

みんな、病室に居るときはじっと目の前の保育器の中の子供を見つめています。

そのまなざしは、私の気のせいかもしれませんが、悲しみをたたえているように見えるのです。

みんな、じっと口をつぐんで、ずっと眠ったままの子供を、何か思い詰めたように。


もし、他のママも私と同じ気持ちだったとすればその理由は良く分かります。

こうして保育器の子供を見ていると、不安と後悔ばかり襲ってくるのです。

”もしかしたら、何か問題があるのかもしれない”
”ちゃんと育つだろうか…”
”私のせいでこんな辛い目にあわせてしまった…”

色んなマイナスの感情が押し寄せてきて、とてもじゃないですが、他のママと仲良くしよう!なんて気持ちにはなれません。

周りを見てみても、気軽に話しかけられるような雰囲気でもないのです。



ある程度大きくなると、ほとんどの赤ちゃんは保育器から出て、GCUに移動していきます。

でも、様々な事情・病状でNICUから出られない赤ちゃんもいました。


私が通院していたとき、部屋の角にずっといる赤ちゃんがいました。
その子はもうかなり大きく成長しており、保育器には入っていませんでしたが、体中に管が付いていて、ずっと寝ていました。

起きることもほとんどなく、泣くこともなく、ずっと寝ていました。

その赤ちゃんにはよくお母さんが付き添っていました。
その赤ちゃんは、呼吸が自力では出来ないようで呼吸器をつけられており、常に痰がからむのでお母さんがよくチューブで吸い取ってあげていました。

ひゃくちゃんも呼吸器が未熟で痰がからみますが、それよりも症状が重たいように見えました。

普通は看護師さんでないと痰取りの処置はできません。でも、そのお母さんは慣れた様子でその赤ちゃんを処置してあげていました。それだけ見てもここに長く居ることが分かりました。

原則、NICUには両親のみ入室を許されていますが、その子にはお母さんとおばあちゃんらしい人が付き添っていました。通院中、父親が来ているのを見ることはありませんでした。

そのお母さんは子供の横で静かに泣いてるのを見かけたことがありました。
でも、こんなに打ちひしがれている人に励ましや優しい言葉を気軽にかけられる人がいるでしょうか…看護師さんたちも普段はそのお母さんとお話ししていることはありますが、そんな時には皆さんそっとしておいているようでした。

変な言い方ですが、自分の子ももしかしたら同じ運命を辿るのかもしれないのです。
そう思うと、とても他の人を励ますような気持になれなかったというのもありました。

でも、これは私の見た範囲での推測も入っていますので、どれだけ辛い状況でいらっしゃったのか実際は分かりませんが、あの部屋にいる赤ちゃんたちはみんなそれぞれドラマがあって、お母さん方も悩みながらも一生懸命に通院していました。

みなさん言葉は交わさないのは、やっぱりお互いの辛さや気持ちを察してのことだったと思っています。

そういったわけで、NICU時代はママ友なんて次元では無く、交流なんてほとんどありませんでした。GCUになると、一緒に授乳室で話し合ったりなど交流がありましたが、それはまたGCUの時にお話ししましょう!

次回は母乳事情についてお話ししようとおもいます!それでは!

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