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心臓に悪い告知方法。 [入院期]

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担当医に呼び出され、おびえながら小さな個室へと入っていくと、先生はさっそく娘について話を始めました。
「今のところは、心拍・呼吸も比較的安定しており、お話していた3日も過ぎました。おそらく死亡する可能性はほぼ無くなったと思われます。」

この言葉に思わずほっとする夫婦。
しかし、その直後先生は手元のモニターに、ある一枚のCTの画像を表示させました。

「これは娘さんがこちらに搬送された直後に撮影した脳のCTの画像です。」

ちょうど上から見た状態の脳の画像。右脳と左脳がそれぞれ左右にあり、断面が見えています。
と、左の中央寄りに少し黒い塊というか影のようなものが見えます。

「ここに黒い影のようなものが見えるかと思いますが、これは脳出血している部分です。通常、この量の出血がありますと、脳の機能のどこかに影響を及ぼす可能性があります。」

そのセリフを聞いた時のことを今でも忘れません。
まるで他人事のように、遠くで聞いているような感覚…遠くでガーンガーンと何かが鳴っているような…この話を他人のことにしてしまいたいという感情の表れなのか、気が遠くなりました。

今まで生きてきてこんなにも聞きたくない話があったでしょうか。
もう恐ろしくて、この先を聞きたくないのです。この話の続きがどれだけの最悪なものかを想像するだけで、もう居ても立っても居られませんでした。

本当にこんなことってあるんだな…まさか自分の子供がこんなことになるなんて…

一瞬の間に本当にいろんなことを考えていました。数秒の出来事なはずなのですがとても長く感じました。

ですが、この先の話を親として聞かなければなりません。逃げてなんていられないのです。
どんな結果になったとしても、受け入れて育てていかなければならないのです。

すると、先生はもう一枚の画像を表示させました。

「これが、今日撮影したCTの画像です。」

え…なんか変わったの?素人目にはパッと見、よくわかりませんでした。

「数日前にあった脳出血していた部分なのですが、出血が吸収されてほとんど無くなってるんです。…こんなことあまり無いんですけどね。」

え?ということは…?

「結果として、現在は特に問題のあるレベルの出血ではないのでご安心ください。」



……
なんだよおーーーー!!!すげーーーーびっくりしたじゃないかーーー!!

なんだよ!さっきの心臓のどきどきとか変な汗とかなんだったんだ!!
つーか結論から先言って!そういうときは!!

ほんと人生でこんなに安堵した経験も他にあったでしょうか…
滑り止めなしの一発勝負で臨んだ高校受験で合格した時くらいでしょうか…。(それよりはるかに安堵してます)

とにもかくにも、まずは最初の問題を無事乗り越えた我が娘。
脳出血まで自分で何とかするなんて…恐ろしい子…

結果として、他に目立った大きな問題はなかったので、通常の超低体重児としてNICUにお世話になることになりました。

ここからまた長いのですが、次回はちょっと視点を変えて、”未熟児ってこんなことも大変だった話”をしたいと思います。

つづく


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担当看護師さんとのご対面、そして先生…! [入院期]

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しくしくと私が泣いていると、看護師さんが私たち夫婦に声をかけてくれました。

号泣していた私にちょっとびっくりしていましたが、気にせず話を続けてくれました。
この部屋では母親が泣いているなんて、驚くことではないのかもしれません。

気を遣って、照射していたライトを止めて目隠しを一瞬外して下さいました。
…可愛い…こんなに小さくてガリガリなのにとてもいとおしいのです。本当に不思議な感情です。

保育器の下部には、現在の保育器内の温度と湿度と赤ちゃんの体重が表示されていました。
と、なんと800グラム台の体重になっていました。

な、なにい?!960グラムくらいで生まれたはずなのに、痩せてる…これはやばいんではないか…?!
が、「生まれた直後は水分が無くなるので、一回体重が減るんですよ!」看護師さんがすぐにフォローを入れてくださいました。
なんだ~そうなのか~ちょっと一安心。

ちなみにこちらの病院では一人の赤ちゃんに対して2つのタイプの担当看護師がつきます。
ひとつは持ち回りでその日一日その赤ちゃんをお世話する看護師さん。常に2人体制で、非常事態になってもどちらかが対応してくださいます。

もうひとつは入院から退院まで同じ一人の看護師さんが一人の赤ちゃんとその両親のサポートをしてくれます。
その方とは、ノートで両親は日々やりとりができ、親が来れない時間に起こったことや連絡しておきたいことを書いてくださり、親も赤ちゃんに対しての不安や疑問をこのノートで交換日記のように報告しあうのです。

この体制は本当に素晴らしいなと思いました。
ちなみに、この日後者の退院まで対応してくださる看護師さんが勤務中だったので挨拶ができました。「私はスパルタなのでよろしくお願いします!」と言われ、怒られるのが苦手な私ははじめビビりまくりました笑

でも、スパルタは愛のムチなんですね。そしてスパルタとは私にではなく、娘にでした笑(良い意味でですよ!)その看護師さんとは退院した今でも交流があり、今ではお宅に遊びにいくほどの素敵な仲になりました。

そんなこんなで涙のご対面も終わり、可愛い娘の姿を観察していると、担当医が私たちに話しかけてきてくださいました。

そして、「ちょっとご両親にお話ししておきたいことがあるので別室へよろしいでしょうか?」
一気に気持ちが張り詰めました…
「は、はい…」
重い足取りで、先生の後を付いていきました…

つづく

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再会した娘の姿は… [入院期]

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GCUの部屋を通り抜けてその奥にNICUがありました。
本当にたくさんの保育器が部屋の周りを取り囲むように設置されており、看護師さんたちが忙しく動き回っていました。

その中で、奥の方にあるひとつの保育器…ありました!娘との3日ぶりの再会です。

が、顔が見えない!!目元をガーゼで目隠しされていました。そして青い光?紫外線?のようなライトをガンガン浴びている…日サロ??なにこれ?

これは、”新生児黄疸”という症状の対策としてライトを照射するのだそうです。後で調べたのですが、胎児の頃は成人より酸素を取り込む効率が悪いため、赤血球が大人の倍くらい多くあるそうです。そのため体が赤く、赤ちゃんと呼ばれている所以もそこからだそう。

それが産まれたあと、その余分な赤血球が脾臓で破壊され、赤血球の赤い色素・ヘモグロビンが黄色い色素・ビリルビンになり、皮膚が黄色く見えるため”黄疸”といわれるんだそうです。
これが重症化すると脳障害の後遺症などを起こす場合があるため、早急な治療が必要とのことでした。

で、黄疸に効果的な治療法のひとつに”光線療法(こうせんりょうほう)”があり、産まれた赤ちゃんは初めの数日間は人工的に紫外線にあてて治療しているというわけです。

感動の対面は、顔が見えなかったのですが、そこにいるという事実だけで十分でした。
私は嬉しさもありましたが、「こんな目にあわせてしまった」という悲しさで涙を止めることが出来なくなってしまい、ボロボロと泣きながらいつまでも見つめていました…。

つづく

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いざNICUへ! [入院期]

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入院3日目で遂に外出許可がおりて、娘に会いに行けることになった私。
早速旦那に連絡しました。
幸いその日は日曜日だったので、旦那が付き添って病院に行くことになりました。

しかし、外出の条件は絶対に車で出かけること。
当時私たちは車を持っていなかったので、タクシーを呼んで向かうことになりました。

産院から娘の病院までは車で約30分。
その病院は都内の大学付属の大きな病院でしたが、私は訪れたことはありませんでした。
一体どんなところで、どんな風に過ごしているのかな…
車中で不安に思っていました。

実は、娘が搬送されて旦那が入院手続きをした際に担当医に
「これから3日間が山でしょう。」
とドラマさながらのセリフを言われたそうです。

これはでも冗談ではなく本当の話で、この3日間でどんどんと心拍と呼吸が落ちていってしまう子は、そのまま延命措置を続けても長く生き続けることができず、亡くなってしまうそうです。

逆に言うと、生後3日間何とか心拍、呼吸がもちこたえることが出来ればどんな形であれ、ほぼ99%生存可能だということでした。
ここはもう、赤ちゃん自身の生きようとする力に頼るしかないのです。

この話は出産翌日、私に話してくれましたが、それを聞いた時は心のどこかであの子は大丈夫だと感じていました。

だって、最初にちゃんと泣いたし、足でバイバーイまでやってのけた娘です。産まれて初めてのこの試練は乗り越えられるはずと信じていました。
とはいえ、心配性&マイナス思考のクセがある私は悪いことばかり考えてしまい、不安いっぱいで病院に到着しました。

そんなこんなで辿り着きました、新生児集中治療室・通称NICU。
ここからは、既に何度もお見舞いに来ている旦那の案内のもと進みます。

さすがと言いますか、何重のもセキュリティに守られた厳重さに驚きました。
まずは小児病棟入口でNICU宛のインターフォンを鳴らし、名乗るとドアが開きます。
さらに、この病院はNICUと もう少し程度の軽い子が入っているGCUが隣り合っており、そこの共通の入口にもインターフォンがありました。

そのドアを抜けると、ずらっとロッカーが目の前に。
NICUには私物の持ち込みは厳禁。どうしてもの場合は指定のビニール袋に入れて持ち込みます。今回はカメラ以外と持ってきた母乳以外はロッカーにしまいました。

そして手の消毒です。手をかざすと水が出てくるようになってるセンサー式の水道で、直接触れなくても水を止められるようになってました。緑の液体石鹸でキレイに洗ったら、使い捨ての紙でふきふき。最後にアルコールを擦り込んで、マスクを装着して完了です。

病院に入ってから娘のいる所まで辿り着くのに、10分以上かかりました。。さすがNICU。これだけ大事にされてるんだなーと安心しました。

そしてついに入室&娘とご対面!感動の再会の様子はいかに…?!

つづく

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産院での入院生活について [入院期]

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ひゃくちゃんを出産した翌日にはもう母乳が出始めた私。
ここから私の母としての入院生活が始まりました。
体はものすごいスピードで母へと変態を遂げていました。出ると分かるとすぐさま看護師さんが哺乳瓶の瓶の部分だけを持ってきてくれました。

「まずは手で絞って頑張って搾乳してみて!はじめから搾乳機を使うとうまくいかないから~」

まずは1時間おきくらいにしぼっていきました。2日目にしてすでに乳が張り出してきて、しぼるのにも慣れていないため、痛いしあんまり出ないし…と思っていたら、回を重ねるごとに量が増えていきました。

始めは頑張っても10mlくらいしかしぼれなかったものが、だんだんと30mlくらいにみるみると増えていき、だんだん搾乳が楽しくなってきました。

搾った母乳は”母乳バッグ”なる小さなビニール袋に入れて冷蔵保存していくようにと言われました。
病院の売店で母乳バッグが売っていたので購入して、母乳を詰め替えたら袋に名前と日付を書いて授乳室にある冷蔵庫に持っていきます。

母乳は生ものなので、搾ったらすぐに冷蔵庫へ!入院中の私は数時間おきに病室と授乳室を往復する生活でした。

この産院ではトラブルが発生したお産のケースは珍しかったようで、赤ちゃんと離れて過ごしているのは私だけでした。
授乳室には新生児相手におっぱいを吸わせようと奮闘する新米ママがたくさん。

お産で体力も無くなり、ボロボロの体なのに夜中も数時間おきに起きて赤ちゃんの体重を測っておっぱいをあげてまた体重を測って寝かせる…(授乳の前後に体重を測ることでいくら飲んだか測るためです。)
想像するだけで大変すぎます…

私も搾乳のペースは同じですが、小さいまま自然分娩で産まれたので私自身の体の負担は普通のお母さんたちに比べるとはるかに少なかったと思います。
普通に廊下をすたすた歩けましたし、赤ん坊を抱いて移動する必要もありませんでしたので。

ですが、他のお母さんの方がずっと大変なはずなのに、私には皆さんがとっても幸せそうに見えました。だって一番会いたかったその赤ちゃんがちゃんと腕の中にいるんですから。

おっぱいを搾って、授乳室へ持っていくときにたくさんの親子が仲睦まじく授乳の練習をしている風景を見るのが当時はとても辛かったのを覚えています。

なんというか…カップルだらけの旅行先に自分だけ遠距離恋愛のため一人で旅をしに来ている…そんなような寂しさで胸がいっぱいになっていました。

でも今思えば、もっと悲しい結果になってしまったお母さんもたくさんいるはずです。こんなことでメソメソしててはいけないと思うのですが、当時は色々と物事が急変しすぎて気が滅入って弱っていました…すみません。

一方でおっぱいの方は順調で、搾乳量はどんどん増えていきました。
その日の夜には搾乳機を借りてガンガン搾りまくっていました。搾乳機には目盛りが付いているので、これだけ搾れた!というのが目に見えて分かるのが楽しかったです。
こういう貯めたり、収集したりとか好きなんですよね~

私の産院での生活はこんな感じで過ぎていきました。
そして3日目に先生から数時間ならということで外出許可を頂けたのです。

遂に娘との再会が叶うことになりました…!

つづく


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早産の原因は… [入院期]

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その日の夕方、担当医に診察室へ呼び出されました。内容としては早産になってしまった原因の説明でした。

なんと胎盤を調べれば、早産の原因が判明するそうなのです。今どきの医療はすごいですね~。
で、その調査結果が出たようでした。

診察室へ通され、促されるまま座るとまずは娘の心配をしてくださいました。
私も旦那の話と写真しか見ていないので、今のところは大丈夫ですとしか言えませんでしたが…

娘の話もそこそこに、いよいよ調査結果についての話が始まりました。

すると、先生は何とも微妙な表情に変わり
「実ははっきりした理由はわかりませんでした」
と告げられました。

え?調べればわかるんじゃないの??どゆこと?と思いましたが、よくよく聞けば様々な状況が重なって早産になってしまったのではないか…という分析結果のようでした。

ただ、胎盤内に細菌の反応が見られ、それも原因の一つではないかと指摘されました。
はっきりわかるのはそれくらいのようでした。

「お母さんが不潔にしていたとかそういうわけではないんです。誰しも可能性があることなんですよ」とフォローしてくださったものの、なんだかちょっとショック…

お腹の子供は順調だし、私も体調がすこぶる良かったので、普通の人のように暮らしていましたがやはり気を付けなければいけないんですね。
仕事を辞めたのも早かったので、人ごみに行く機会は少なかったとは思うのですがそれでもこういった事は起こるのです…。もっと意識して暮らさなければならなかったのかなと反省の念も出てきました。

先生からは「細菌以外でも、早産しやすい体質や、子宮の形状なのかもしれない。複合的な理由でなったものだと思う」と最終的な回答をいただきました。

何にせよ、大きな病気などの原因でなくて一安心(?)

早速その日の夜から、細菌感染対策として抗生物質が点滴されることになりました。
この調査結果は娘の病院にも伝わったようで、娘もはじめに抗生物質を点滴されていたようです。

今まで健康体だった私はこれが人生初の点滴。注射も苦手だった私が今はおとなしく点滴の針を打たれていることに、自身の成長を感じました。(こんなちっちゃいことですみません)

点滴を刺されたまま、この日は眠りについたのでした…

つづく

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写真で娘と初対面! [入院期]

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産後の疲れが出て、ぐっすりと眠りについた午前3時頃、旦那が入院に必要な道具一式を持ってきてくれました。

旦那は娘の入院する病院に一緒についていき、入院手続きを済ませ、そのままとんぼ返りで家に帰り私の入院道具などを取りに行き、こちらに戻ってきたのです。
たぶん、娘が産まれた後は私よりも旦那や親の方が大変だったと思います…。

軽く報告を受けて、私もまだ眠り足りなかったのでそのまま旦那を家に帰して再び眠りにつきました。

翌朝になると自分でよろめきながらもトイレに行けるようになり、いくぶんか元気になってきました。そこで、旦那が持ってきた入院用パジャマとあらかじめ買っておいた産褥ショーツなるものに履き替えました。
妊娠7か月で入院準備はまだ早いかと思いましたが、必要な用品を揃えるのとかが昔から好きで、楽しくて既に購入しておりました。準備の速さがこんな風に役に立つとは思いもしませんでした。

ベッドの横には病院から支給された出産セットのバッグが置いてあり、産後に必要なアイテムが色々入っていました。出産するまで経験のない事でしたが、お産直後は出血が多く、産褥ショーツに通常のナプキンよりも何倍も分厚くてゴワゴワしたものを着けて過ごすんだそうです。

ほんとに使い勝手を無視したようなデザインと分厚さで履き心地は最悪でした笑

それと枕元に赤ちゃんの写真がありました。
娘の入院先の病院の看護師さんが撮って、渡してくれたんだそうです。
写真の入ってる袋には、「赤ちゃんは元気です。元気になったら会いに来てくださいね。」とメッセージが。

写真の娘は体中にセンサーやら管やらたくさんついて、まだへその緒もそのままでした。
他人が見たら痛々しい姿だったかもしれませんが、私には想像よりもふっくらしていてしかも口元は笑っているように見えました。本当に可愛く見えました。

すると、こんなに可愛い子をなぜ早くに産んでしまったのだろう、もっとお腹に入れておきたかったという後悔のような感情が湧いてきて涙が止まりませんでした。

こんな風にさせてしまってごめんね…とも思うともう、写真を見るたびにひとりの時はずっと泣いていました。

もっと素敵で幸せな出産になると思っていたのに、私の初産はとても悲しくて不安で惨めな気持ちで終わってしまいました。考えていた出産プランも全てがおじゃんです。当時はかなり打ちひしがれていました。

朝食を食べてしばらくすると、看護師さんがやってきました。
おもむろに寝たままの私の胸元をがばっと開けて「ちょっとごめんね~」と乳首をかなり強めにつねられました。
「痛った!!」と思った瞬間、
「あら、おっぱい出るね!」と。

え?!私もう、母乳出るの?!我が目を疑いました。
3か月も早く赤ちゃんが産まれたというのにもう翌日に体は母になっていました。

むしろ心が一番追い付いていませんでした。だって母になるのはもっと数か月先だと思ってたし、自分の乳から母乳が出るだなんて…生命の神秘ですね。

一番初めに出る母乳は”初乳”といって、新生児にはとっても大事なお乳なんだそうです。
まだ滲むくらいしか出てきていない初乳を看護師さんは丁寧に注射器で吸い取って持って行ってしまいました。

その日は金曜日でしたが、旦那は緊急事態という事で仕事を休みにしたようで、昨日の深夜に旦那のご両親も東京に駆けつけ、翌日の午前中にみんな総出でお見舞いに来て下さいました。

ご両親からはねぎらいの言葉を頂き、少しほっとしました。
心のどこかで、ちゃんと産んであげられなかったと思ってましたから、責められるのではないかと不安だったのです。

でもご両親はとってもいい方で、後で聞いた話だと私の両親に「(どんな結果になっても)みんなで育てていきましょうね」とお話ししてくださったそうです。

ほんとにいい方たちに恵まれて、それだけでも心が少し救われます。

その後、ご両親と旦那は娘の病院に行くとの事で私の搾りたての初乳を娘のもとに届けてもらうことになりました。
母乳はいわば”生もの”で、出た瞬間からどんどん鮮度が落ちていくのだそう。
冷蔵庫に保管されていた注射器に入った初乳は保冷バッグに入れられてお義母さんが「ちゃんと持っていくからね!」しっかりと持っていって下さいました。

その夕方に私は担当医に診察室に呼び出されました。そしてそこで早産になってしまった理由を知らされることになります…。


つづく

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実は産まれた後が大変だった… [入院期]

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はてさて、そんなこんなでバタバタで産まれ、あっという間に娘と離れ離れになってしまった私。

しっかりと延命措置をしてもらい、娘は無事に命をつなぐことができたと安心していたのもつかの間、私を待っていたのは辛い”後処理”でした。

陣痛もあり、普通分娩で出てきたとはいえ、子供が小さいまま産まれてしまったためなのか子宮の中の胎盤の全てが出てこず、処置が必要という事になりました。

そうです。残った胎盤を”掻き出す”処置が施されたのでした。

これがもう~~痛い!いたくていたくて…陣痛とはまた質の違う痛さで…

しかも、女医さんは私のお腹をぐいぐい押しながら金属でできた何かで掻き出しているようなのです…外と中から押されて、いったいのなんのって…泣きました…
「いたーーー!」と叫びましたよね。

しかし、無情にも「そうねー痛いよねー頑張ってねー」
という声掛けのみで、処置の手は休むことなく続きました…

どのくらい処置を受けていたか分からないくらい長く感じましたが、おそらく15分くらいで終わったと思います。
そして私はその産院にそのまま入院することになりました。

すると、私の両親と旦那がそばに来てくれました。

急に見知った顔ぶれの登場に思わず安堵と色んな感情が混じって泣いてしまいました。
旦那に「ごめん、ちゃんと産んであげられなかった」と謝りました。

旦那は
「そんなことないよ。ちゃんと生まれたよ。ありがとう。」と言ってくれました。

そんなにゆっくりもしていられないようで、娘の搬送先の病院に付いていかなければならず、父と旦那は車で救急車を追うことになりました。
母は残って、私の身の回りの世話をしてくれました。

その日、私は黒ワンピースとジージャンを羽織っていましたが、ワンピースは黒で分からなかったものの、ジージャンの背中は血で真っ赤になっていました。ものすごい出血だったようです。
お気に入りだった可愛い柄の妊婦用のショーツは、病院搬送時にハサミであっという間に切り裂かれてしまったので、二度と手元には戻ってきませんでした。。地味に悲しい。

出産した時間は夜の9時ころ。
その日は取りあえず、配慮していただいたのか個室で過ごすことになりました。
色々心配なことはありましたが、それよりも疲れがどっと出て、目を閉じてしばしの眠りにつきました…

つづく

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